170314 生きるということ
何があった訳でもない。
己が、哀しいのだ。
周りと比べてばかりの自分。
夢を見ることばかりで前進できない自分。
心が狭く、ダメだしをしてばかりの自分。
評価や報いばかりを求める自分。
この人生を不運だ不幸だと嘆いてばかりの自分。
足元がぐらつく。
この命への嫌悪感が膨らみ、苦しくなる。
「なんのために生きているのだ」と。
心を立て直そう。
ぐらついている足を、ぐっと踏みしめてみよう。
しっかり立てているはずだ。
落ち着いて考える。
なぜ苦しいのか、己を蔑むのかを。
苦しみながら生きる必要などない。
苦しむのは、己の考え方に原因がある。
5つの視点を改めよう。
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第1に、周囲との競争や優劣ばかり気にしていること。
周りの人間の活躍を無意識に妬んでいないか?
不出来な人間を無意識に哀れんでいないか?
心の中に、常に比較対象としての他者がいないか。
視点を変えよう。
見定めるべきは、周囲ではない。
見定めるべきは、明日の己だ。
まず、心の中に思い浮かぶ知人を消そう。
代わりに、自分の心が満たされる、面白いと思える「目的」を思い浮かべる。
★趣味でも、勉強でも、仕事でも自分から興味を持たなければ、おもしろさの本質に触れることはできない。・・・人に言われたり、人から与えてもらったりしたのでは、自ら探し当てた喜びは得られない★
希望や笑顔を与える仕事。悩みを癒やす仕事。
自分の周りに、そのような仕事を探してみる。自分にもできないか。
そして、そんな目的に向かう「自分」を想像する。
そこに意欲がわきたつ。
自分を変える課題を見つけ、プランを作る。
課題とプランを、誘惑に負けず、真摯に取り組む。
★苦しいことも含めた長いプロセスを、いかにおもしろがれるか。「そのひとつの輪の中で記憶に刻まれた印象のすべて」が、登った者だけが知り得るその山の個性なのです★
不足が見つかれば省みて、さらに改善する。
実にシンプルな日々の繰り返しでいい。
そこに、不安や恥は必要ない。
誰もが、その生き方で、間違いはないのだ。
失敗や不出来があろうと、それも己の道で間違いはない。
周りの道を羨まず、蔑まず、己の道を見つめる。
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第二に、大きな結果や素晴らしい未来を「追いすぎている」ということ。
結果は、大概思い通りにならない。大概が失敗する。
理想や未来や結果を強く思い描くことは、不安を募らせ、心を痛めてしまう。
視点を変えよう。
不安が膨らむようなら、結果や未来を思い浮かべない。
先々の自分ではなく、今ココの姿勢を意識しよう。
日々の戒律・四善業・七門を守ることだ。
きょう1日を精いっぱい生きる。
誘惑に負けず、結果を恐れず、ただ己の「スタイル」を貫く。
スタイルが、結果や未来に揺さぶられない確固とした「己」になる。
先々を見据えることは、前向きになれる時でいい。
内心「あきらめながらも…」ぐらいで、肩の力を抜こう。
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第3に、不寛容が心を占めていることだ。
物事はこうでなければならない。
子供や妻のここがダメ。自分もダメ。
こだわりや、決めつけばかりで、視野が狭くなっていないだろうか。
視点を変えよう。
相手にダメ出しをするクセを辞めよう。
物事一つ指摘するにも「ダメだ」とは言わない。思わない。
大切なことは、まず認めること。それが良かろうと、悪かろうと。
評価を下さず、淡々と「○○なところがある」。
例えば、他者ではなく、自分について。
10年働いたけれど、全く仕事の技量が高まらない。
それは向いていないからだ。肩の力を抜こう。
どこまでも許し、どこまでも責めない。
対象を敬い、寄り添おう。
己のこだわりを捨て、楽になろう。肩の力を抜こう。
それは、他への優しさにつながり、己への愛情にもつながる。
もし人と違う生き方を選びたいなら、
これを最優先の感情とせよ。
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第4に、己の評価や、頑張りに対する報いを求め過ぎていること。
周囲に求めて過ぎている。環境を、機会を、全てを。
際限なく欲は膨らむものであり、それが叶わないと苦しみが生まれる。
視点を変えよう。
回りに求めるのを辞めよう。幸せは与えられるものだ、と思うのを辞めよう。
喜びは与えてゆくものだ。
己のためではなく、他者の幸せを望めた時、人生は前へ進む。
求めなくなった時に、己の苦しみは癒えるはずだ。
多くの人の苦しみを感じとり、解放するにはどうしたらよいのか。
その人が大切にしている思いへの共感を、どうすれば広げられるのか。
誰もが嬉しくなり、元気になれる話題はどこにあるのか。
自分のできる範囲で、自分の頭で考えて、模索してみる。
常に心を素直にして。
ひとりで難しければ、時に信頼できる誰かに助けを求めても構わない。
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第5に、この人生が幸せじゃないと嘆くことだ。
視点を変えよう。
己を悲劇の主人公にしても、何も人生は始まらない。
価値ある命は、既に親から与えられている。
それ以上に幸せなことはない。
この大切な一度きりの人生を、時間を楽しむ権利がある。
大きな幸せよりも、身の回りにある小さな幸せに浸ってみよう。
家族との愛情。自然の美しさ。健康な日々。
幸せについて、誰と比べる必要がある?
己を恥じるな。哀しむな。胸を張れ。
心晴れやかに肩の力を抜き、この人生を歩めばいい。
幸せじゃない、と嘆くことは、己の足元を自ら瓦解させることだ。
この命を懸命に面白がろう。
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周りと比べてばかりの自分 → 知人を思わない。自分の心が満たされる、面白いと思える「目的(仕事)」を思い浮かべる。それは、遠い他者の仕事でもいい。その目的に向かう自分を想像すると、意欲が沸き立つ。課題を見つけ、プランを立て、実践する
夢を見ることばかりで前進できない自分 → 不安になるようなら、遠い未来を見つめない。今ここのスタイルを貫くことが、確固とした「己」を作ってゆく。誘惑に負けない
ダメだしをしてばかりの自分 → 「ダメだし」をしない。違和感のあるものも、まず肯定する。まず自分の嫌な所から。「10年仕事をしてもこの程度。向いていないのかも」。こだわらず肩の力を抜いて。でも、前へ進む。許し、責めない。
評価や報いばかりを求める自分 → 幸せや生きがいは誰かに与えられると思うから不満がたまる。幸せや生きがいは与えられるものではなく、与えるもの。その価値に向け、全力を注ぐ
不運だ不幸だと嘆く自分 → 悲劇の主人公はもう卒業だ。幸せを感じることに、罪はない。大きな幸せが見つからなければ、身の回りの小さな幸せに目を向けよう。それらを感じ、楽しむことが、たった1度与えられた命の意義
視点を変えるだけで、足元はぐらつかなくなった。
己の足元が再びぐらつく時、それは視点が戻った時だ。
脳の神経回路は、いとも簡単に昔戻ってしまう。
新たな考え方や姿勢を身に付けることは、それだけ難しいことなのだ。
だから、毎日毎日振り返ろう。
さて、胸の内の苦しみが消えたとするなら。
改めて考えてみればよい。
自分の人生にとって何が大切か?
たった一度の人生で、何をなすべきか
己の幸せでなく、誰かの幸せのために。
家族。友人。社会
そこで向き合うものは、苦しみでなく、喜びなのだ。
それこそが、己を生きるということだと、もうあなたは気づいている。
この価値ある命に相応しい、己として。