山川草木

日々を愛する 音楽と言葉 from northern land 

文藝春秋スペシャル2010夏号「連載対談 死を想う」より

<きょうの写経>

五木 法然が「念仏をきちっと唱えさえすれば、すべての人は死後、浄土に迎えられる」と説いたのに対し、親鸞法然の教えを竿頭一歩進めて、「人は生きながらにして死に、生きながらにして再生することが可能だ」と考えたに違いないのです。死んで救われるということが確信できたとき、その人は救われる。臨終を待つことなく往生できる(現生往生)と。だから彼自身も名前を何度も変えた。…


帯津 臨終を待つことなく往生できる。つまり、その手前で事が成るということなのですね。また新しい世界が開かれたような気がします。

 

五木 眠りにつくとき、わたしはいつも死ぬような気がするんです。今日は死んだ。明日もちゃんと目を覚ますかは神のみぞ知る。そして翌朝起きた時に「ああ今日も生まれた。ありがとうございました」と合掌する。毎日毎日死んで、毎日毎日生まれているという気持ちです。こんなふうに考えられれば、ほんとうに面白いですよ。

 

帯津 さすがに先輩ですね(笑)。いいお話だ。

 

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野村訓市さんが先日の放送で、ノストラダムス大予言の日のことを語っていた。この世の終わりが待っているから(それがどんな形であっても)、人生を思い切り生きることができた、と。これは、五木さんの言う「現生往生」に近いのだろう。余計な価値観や社会情勢、環境に惑わされず、自分の信じる道を歩むことが、人の一生においては大切なのだ。ヒトは未来でも過去でもなく「今ここ」「自分」を生きているのだということを、改めて感じさせられた。

うえやまとちさんのライブを聴いた。高田渡のカバー。なぜか涙が出た。星野道夫しかり高田渡しかり、なぜ彼らに人はひかれるのか。モノやカネとは離れたところで、人生は豊かで満ち足りている-その真実を伝える言葉や音楽を持ち、周りを幸せにしているからなのだろう。クッキングパパもそうなのかもしれない。仕事が人生のすべてではなく、仕事は人生の一部。わきまえた上で、人や自然と接すれば、またちがった世界が見えて来るのかも知れない。